教えること=学ぶこと

高校を卒業して入った専門学校時代は常に人に教える側だったことをblogを巡回していて思い出した。

高校3年の夏、大学へ入るために受験勉強をしていたが高校入学からサボっていたつけを取り戻すには時間が足りないことに気がついた。当時それほど我が家はそれほど裕福では無く(と思っていた。)、弟の方が出来が良く越境で高校へ入学する事も半ば決まっていた状態だったので、受験する前から親へ浪人するとは言えなかった。まして1年浪人したところで行きたかったのは地元の理系私大で学費は決して安い物ではなかった。結局コンピュータ関連の仕事に就きたかったこともあり、それなら大学へ4年行かなくても専門学校で2年でも出来るのではないかということで決意した。
専門学校は今もそうだとはそうかもしれないが、(理由は色々だが・・・)大学に入れない人間が多く集まる場所だった。
決してコンピュータが得意とか好きな人間が集まっているわけではない専門学校のクラスメートと
コンピュータ関連が好きな俺。試験前には必ず集まって試験対策の勉強してました、当然のことながら教える側として。教えながら自分で内容の再確認・再認識をしているので結果として教える以外に自分で勉強することは殆どなかった。

さてふと気が付けば多くの後輩がいる年次になって、後進を育てるというのも仕事の一部になりつつある。あの頃の様に自らも学びながら、後輩に教えることは出来ているだろうか。後輩のみではなくユーザに対して教えることは出来ているだろうか。
この5年間に多くの後輩たちが会社を去って行っていることを考えると、いくら社外に出されているとはいっても一緒に仕事をした後輩もいるわけで、何かを求めて出ていった彼らに何も教えることが出来ていないのではないだろうか・・・もっと言ってしまえば教えられるほどの知識が自分にはあるか、だた悪戯に経験だけを積み重ねているだけなのではないだろうか。時間が無いを良いわけに勉強せず、経験として積み重ねた物を人に伝え、自分の得た経験・知識をを確認し直すという作業が十分に出来ていないのでは無いだろうか。

教わることは新しい知識の習得に繋がる。教えることは自分の知識の再確認も必要であり結果として新たな知識の習得にも繋がる。教わること・教えることの両方に謙虚な姿勢で臨まなくてはと強く誓おうと思う。

結城浩:教えるときの心がけ